変わらない日常でも・・・
昨日はいつもと変わらぬ日曜日。
我が家は主人も私も地域の活動には積極的に参加している方で、朝、一時間ほどは地元の氏神様の境内等の掃除に参加。
主人は地域のゴルフ仲間とコンペで早朝から一日出かける事になっていたので、私は実家に帰って母に顔を見せようかとも思っていたのですが、結局、家の用事を優先して出そびれてしまいました。
夜になって、母と同居している弟から「夕方、母が入院した」との連絡が入り、「あっ!顔を見せに行っておけば良かったかな!」と少し後悔の念が・・・
83歳になる実家の母はこの4、5年で急に体力が衰えて、一日ずっと家の中だけで過ごすことが多くなっています。
誰かが訪ねてきてくれることで、日常に変化があり刺激を受けることになるのでしょうが、ほぼ一日テレビを見る事だけが日課となっています。
今の私は還暦からの人生をあれこれ考え、まだ「命の期限」をほとんど意識することなく生活しています。
今日一日が貴重な一日
でも、昨日は母のことを考えると、『その一日が貴重な一日』なのだと気付かされました。
私にとって「明日どうなるか分からない」という状況は、まだ20年以上先のことだと思っていました。
母にとっては『明日ではなく今日が大切』
『また今度で良いかな・・・』という状況ではないのですね(そんなことにも気付けていなかったなんて情けない話です)
幸い急を要する状況ではなく落ち着いているようなのですが、コロナの影響で家族でも病室を訪れることが出来なくて面会できず、本当に大丈夫なのかまだ心配しています。
コロナの影響がなければすぐにでも顔を見たいのだけど・・・このご時世、病院もコロナ感染を防止するために万全の対策を練って対処して下さっているのだから仕方ない。
悪い方に考えたくないので元気に退院したら、出来るだけ顔を見せに実家を訪れるようにしようと思っています。